写真集のレイアウトがあがり思うこと

11月下旬の完成を目指している阿蘇くじゅうの写真集のレイアウトがあがってきた。
いつものように編集室で写真や文章の配置などをチェックしてゆく。最初の段階ではかなり修正もあるので、とりあえず持って帰って全体の流れなどを改めて見直してゆく。実際の大きさになるとイメージもずいぶん違ってくるので、この渡された時の最初のイメージを大切にしなければならない。この日も持って帰り、結局5枚ほど写真を入れ替えることにした。そしてようやく写真集としての流れがスムーズになってきた実感が生まれてきた。ここまでたどり着くのにどれだけ写真を入れ替えてきたことか、としみじみする瞬間でもある。もうほぼ決定。
 100頁ほどあるので、その全体のストーリー性はとても大事になってくる。もちろん小説ではないから直接的な物語というわけではないけれど、それでも僕なりに考えている展開がある。今回の写真集では数ページごとに短い文章を入れている。そこからイメージをさらに膨らませていく、ということになる。
 
 本としてまとめてゆくたびにいつも思うんだけど、こういう作業の時間こそ写真家とかフォトグラファーと呼ばれる人にとっては大切な瞬間なのではと思えてくる。僕もそのように呼ばれたり自分でも呼んだりする立場として、一枚一枚はもちろんのこと、それらを一つの物語、一冊の本としてまとめてゆくというのはとてもセンスを問われることになる。僕は文章もかなり重要視しているけれど、ここでは写真家としてのさらに奥の作家性までも問われることになるので、日ごろから様々な本を読むように心がけている。その本からヒントを得て写真に生かしたり、文章のヒントになることを常に見つけようとしている。もちろん何にも見つからないこともあるんだけど、それはそれでリラックスできたと思えばいいことだし。
 今回の写真集はヘンリー・ソローの「ソロー日記」からずいぶんインスピレーションを受けた(難解で半分も理解してないだろうけれど)。そしてエリオット・ポーターの写真集が撮影を始めるきっかけとなった。そのようにして創り上げてきた写真集が、写真家、フォトグラファーとしての実感を生み出すことになってゆく。というか安心ということにもなるんだろうけれど、この頃はこの感覚こそが大事なんだろうなと思いながら作業をすすめている。
画像

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック